人生は選択肢の連続であると皆さん思われるのではないでしょうか。
私たち人間は毎日大小様々な決定を、少なくとも1000以上していると言われています。
私たちの前には何か選択する道が必ずあります。先に進むにはどちらかを決めなければいけません。
何回も通ってる道であれば選択は簡単かもしれませんが、 初めて通り道であればこの先どうなっているのだろうかという不安な気持ちに襲われるかもしれません。
その時皆さんはどうされますか?
今までの自分の経験で選択できるかもしれませんが、きっとこの道に詳しい人にアドバイスを求めるかもしれません。
何か重要な決定となる場合には尚更そうするのではないでしょうか。
皆さんは誰にアドバイスを求めますか?
経験豊富な親でしょうか。それともなんでも話せる友人でしょうか。
今はインターネットで知りたい情報をすぐに知ることができます。 キーワードを入れれば、アドバイスを多く得ることができます。
でもそこに出てくるアドバイスが正しいとは言い切れません。 なぜなら、1つのワードに対して複数の答えがあるからです。
もしかすると、正しい答え正しいアドバイス自体はないのかもしれません。
私たち人間は皆不完全だからです。
地球には様々な国があり、国民を守るために上に立つ人たちがいます。その人たちは国民を導くためにたくさんの指示を与えます。
時にはその指示が無理な要求かもしれません。 でも私たちはそれに従わなければなりません。
従ったからといって、全ての人が平等に幸せになることは決してありません。
ごく一部の人たちのみが幸せを得ることができます。なぜでしょうか?
私たち人間は皆不完全だからです。 伝道の書8:9で「人が人を支配し、人に害を及ぼしてきた」と述べられています。
では私たちのためになる的確なアドバイスは誰がしてくださるのでしょうか?私たちは誰にアドバイスを求めればよいのでしょうか?
それは全てのものを愛を持って創造されたエホバ神です。
最初の人間アダムとエバが罪を犯した結果、私たちは不完全さを引き継ぎました。そんな私たちに対してもエホバは愛を持って接してくださっています。
人間の支配者のようにエホバは無理な要求は決してしません。 私たちを心から愛し守りたいと思っているからです。
イザヤ48章17,18節でエホバは、私たち「のためになる生き方を教え」エホバ「のおきてに注意を払」うならば「平和は川の流れのように豊かになり、「正しい行いは海の流れのように多くなる」と保証の言葉を述べておられます。
それでエホバのアドバイスを得るためには、聖書をよく調べ得た事柄を適用し、 実際に行動へ移すことが必要となってきます。
エホバはどのようなアドバイスを与えているのでしょうか?
「神はあなたに,何が善いことかを伝えた。エホバがあなたに求めていることは何か。ただ公正を守り,揺るぎない愛を抱き,慎みを持って神と共に歩むことである」。(ミカ書6:8)
このアドバイスを1つずつ次の点を念頭におきながら考えていきたいと思います。
①ミカの時代の状況②現代との共通点③エホバのアドバイスを実践するメリットについて考えていきたいと思います。
ではまず「公正を守る」ことについて考えていきましょう。
公正とはなんでしょうか?
それは偏りがなく正当なことと言えます。
私たちは人と接するとき、神から見ていつも正しい行動を取ることが求められています。
また、相手に対して不当な差別をしないことも含まれています。
ではミカの時代の時代はどのような状況だったのでしょうか?
公正に反することは日常茶飯事でした。上に立つ者自らそのようにしていました。
道徳面で嘆かわしい状況が見られたと述べられています。
「まだ,悪人の家に悪の宝があるのか。忌まわしい不正確な計量容器があるのか。 不正なはかりとごまかしの石重りの袋を持ちながら,道徳的に清いといえるか。裕福な者たちは暴力にまみれ,住民たちはうそを言う。彼らの口には人を欺く舌がある」。(ミカ書6:10-12)
裁き人や祭司また預言者たちは、貧しい人々からお金を巻き上げようと虐げたり,不正な量りを用いて騙したりしていました。
他にも暴力行為や詐欺行為、偶像礼拝、賄賂が多く見られたようです。
一般の人々もそうだとありますから、友人や家族でさえも信用できない状況にあったことがわかります。
現代はどうでしょうか?
世界中に見られる政府は腐敗しきっていると言っても過言ではありません。
国民のためと言いつつも、結果として自分たちの利益を得るために公的な権力を用いているのが現状です。
自分たちだけ良ければ良い。そうした考えが一般の人でも見られます。
ミカの時代と今は何の変わりもない状況と言えます。
そのような状況の中でエホバのアドバイスを実践するメリットは何でしょうか?
治安の悪い貧しい地域に生まれ、母を知らず父とも良い関係になかったイタリアに住むルバラ兄弟は、10歳で盗みを働き家出もし、接する人とは絶えず言い争い、麻薬にも手を出したようです。
逮捕され、刑務所に入ったり出たりの繰り返しでした。
出所したある時、祖母を訪ね生き方が大きく変化したと述べています。
祖母の家の人たちはエホバの証人で、集会に誘われ参加することになり、この集会で人生が一転しました。別世界にいるようだと述べています。
今まで味わったことのない、温かで友好的で笑顔で歓迎され、その眼差しから親切心や正直さが見て取れたと述べています。
自分がいた世界とは真逆の世界だとも述べていました。
その後研究が始まり、学べば学ぶほど自分の生き方をすっかり変えなければと思うようになったようです。
でも読書や勉強は苦手だったので簡単ではありませんでした。
しかし努力するうちにエホバを愛するようになり良心が芽生えてきましたが、今まで悪いことばかりしてきたのでエホバに許してもらえないのではないかと思うようになったようです。
そういう時には重大な罪を犯したダビデの記述に慰められたと述べています。
「エホバについて学んで救われました。聖書を学んで本当の満足感、待ち望める将来を得ることができました。今では結婚し、真面目に働いて大きな喜びを感じている」と述べています。
この経験から何がわかるでしょうか?
まず会衆の仲間がこの人に公正な見方をしていたことがわかりました。
本人も聖書を学ぶにつれて変化していくことができました。
エホバと同じ見方、正しい行動を取ることがでました。
公正を守るならば、他の人と良い関係でいることができ、相手に不快な思いをさせることも、自分の心を痛めることもありません。
エホバから見て正しい行動を取る時、必ず良い結果をもたらすことがわかります。
では「揺るぎない愛」について考えましょう。
言い方を変えると「愛して親切に尽くす」とも訳すことができます。
そして揺るぎない愛と訳されているヘブライ語は、 相手を裏切らないだけでなく、親切にしたり憐れみ深くあったりすることも意味するそうです。
他の人に対してただ親切を示すだけではなく、 愛を持って心からそうしてほしいとエホバは思っています。
では、ミカの時代の状況はどうだったでしょうか?
「彼らは皆,人の血を流すために待ち伏せする」「仲間…親友も信頼してはいけない」「息子は父を見下し,娘は母に…逆らっている。自分の家の人たちが敵になっている」と述べられています。(ミカ書7:5-7)
家族に対しても友人たちに対しても揺るぎない愛を抱いていなかったことがわかるのではないでしょうか。
では、現代はどうですか?
親子の間にあるはずの愛が成長と共に段々と薄れていくような状況が、今多く見られるのではないでしょうか。
自分の都合で親または子の命を奪う、またインターネットで仲間を集い、入念な計画のもと強盗に入り、わずかなお金を得るために命を平気で奪ってしまう。
こうしたニュースも聞くのではないでしょうか。
そのような状況の中で、エホバのアドバイスを実践するメリットはどのようなものでしょうか?
「あなたは,揺るぎない愛を示す人に,揺るぎない愛を示す。誠実な人に誠実である」。(詩編18:25)
このあなたというのはエホバです。
ですから、どんなに世の中が悪くなっていったとしても、私たち1人1人が他の人に対して揺るぎない愛を示していくならば、私たちはエホバから揺るぎない愛を示していただけるのです。
私たちが実際にそう行動するときに、エホバは喜んでくださいます。揺るぎない愛を示すことは仲間との友情を築くこともできるからです。
チリに住むマルコ兄弟は、5歳の時に両親が離婚し母親に育てられました。母はエホバの証人と研究し、集会にも出席するようになりました。自分も行くことになりましたが行きたくなかったようです。 後に出席するのをやめ音楽にのめり込むようになりました。
そして音楽を勉強するために家を出、しばらくしてから虚しさを感じるようになり、バンド仲間とお酒や麻薬また喧嘩などをし警察沙汰になったようです。
地元に戻り音楽で生活していた時のこと、一緒に住んでいた女性からこう言われたそうです。 「母親は三位一体を信じているが、自分は信じてはいない。何が真実なの?」
マルコは「エホバの証人なら聖書から真理を示せるよ」と伝えました。そして何年もしていなかった祈りをし、神に助けを求めました。
数日後どこかで会ったことがあるような人を見かけ「エホバの証人ですか」と尋ねました。その人は動揺しながら、集会についての質問に親切に答えてくださいました。
その出会いが祈りの答えだと確信し、集会に出席することにしました。
目立たないように1番後ろの席に座りましたが、多くの人が子供の頃に集会に来ていたことを思い出し、歓迎してくれて、 愛情深く抱きしめてくれたそうです。兄弟はなんとも言えない平安な気持ちに包まれたと述べています。
幼い頃に聖書を教えてくれた男性を見かけ、もう一度研究司会してくださいませんかとお願いしたそうです。
彼女とも結婚し共に聖書を学び、2人ともエホバの証人になりました。
この経験から何がわかるでしょうか?
この人は仲間からの揺るぎない愛によって再び真理の道を歩むことができました。
私たちも他の人に対してこの揺るぎない愛を示していきたいと思います。
最後に「慎みを持って神と共に歩む」ことについて考えましょう。
慎みを持って歩むとは、自分に頼って行動するのではなく、常にエホバに頼ってエホバの考えに調和して行動することです。
エホバの導きが必要であることを認める必要があります。
幼い子供が父親の手をしっかりと握り、嵐の中を歩いていくのと同じと言えるかもしれません。
子供は自分の力が限られていることをよく知り、父親を信頼します。
そうしなければ進んでいくことができないからです。
同じように私たちも、自分の限界を知り、お父さんであるエホバを信頼しなければなりません。
ではミカの時代の人々はどうだったでしょうか?
「有害なことをたくらむ者,寝床の上で悪いことを計画する者には災いがある!朝日が昇ると,彼らは実行に移す。彼らの手には力があるからだ。彼らは畑を欲しがり,奪う。家も欲しがり,取る。家と相続財産をだまし取る」。(ミカ書2:1,2)
邪悪な行為が満ち溢れていたことが分かるのではないでしょうか。 貪欲さや物欲もあったことがわかります。
隣の家の畑や家を奪うことを企み、入念な計画のもとに実行する。エホバの考えに調和していない自分主義だったことがわかります。
エホバに頼るのではなく、自分の力自分のこれまでの経験に信頼を置いていたことがわかるのではないでしょうか。
慎みではなく僭越を示した人たちも多く見られたようです。
では、現代はどうですか?
エホバの言葉に耳を傾けようとはしません。自分さえ良ければ良いという考えが強いからです。
慎みが欠けている状態と言えるかもしれません。
そのような中でもこのエホバのアドバイスを実践するメリットはどうでしょうか?
「歩む」という表現は、一定の行動に従うことを意味しています。
聖書に記されている神のアドバイスに従う生き方をするならば、「神と共に歩む」ことができます。それを続けていくためには、私たちの側に慎みが必要となってくるのです。
人間としての自分の限界を認めることも重要です。そうするならば、本当の喜びと満足感を味わうことができるからです。
ドイツに住むバーウェル兄弟は、家庭環境の変化により、幼くして独立心が強くなっていきました。そのため自分の行動が他の人にどのような影響を与えるかなど一切気にすることはなかったと述べています。
大人になったある時、エホバの証人と出会い聖書を学ぶことになりました。
学び始めた頃は生き方を変える必要性はさほど感じていませんでしたが、学ぶにつれて特に人格面のでの変化が必要であることに気づいたようです。
「自分は非常に傲慢で独立心が強く、自分の功績や才能に慢心していた」と述べています。
諦めることなく聖書を学び続けた結果、自己中心的な考え方をやめることができ,聖書を通して歩むべき正しい道を歩むことができました。
「自己中心的な生き方をしていた頃は、自分の決定に確信を持てないことがよくありましたが、今は間違いのない知恵の源から人生の導きを得ています。 聖書の原則を夫婦で当てはめることにより、夫婦の絆を強めることができました」と述べています。
兄弟は自分に頼って行動するのではなく常にエホバに頼って、そしてエホバの考えに調和して行動することの大切さに気づくことができました。
私たちもつい自分の考えを優先してしまうことがあるかもしれませんが、そうした点でも気を付けていつでもエホバに頼っていくことにしましょう。
今、エホバのアドバイスに従うなら、心の平安と仲間との間での一致と平和を見ることができます。
預言者ミカは、このような予告をしていました。
「最後の日々に,エホバの家の山は,山々の頂より高くしっかりと据えられ,どの丘よりも高くそびえる。人々が流れのようにそこに向かう。多くの国の民が行って,こう言う。『さあ,エホバの山に登ろう。ヤコブの神の家に行こう。神はご自分の道について教えてくださる。私たちはその道を歩もう』。律法がシオンから,エホバの言葉がエルサレムから出る。
神は多くの人々の中で裁きを下し,遠くの強い国々の人たちを正しい方向に導く彼らは剣をすきに,やりを鎌に作り替える。国は国に向かって剣を振り上げず,彼らはもはや戦いを学ばない。彼らはそれぞれ自分のブドウの木やイチジクの木の下に座り,誰にも脅かされない。大軍を率いるエホバの口が語ったのである」。(ミカ書4:1-4)
「最後の日々」は終わりの時代、今のことを述べています。この預言は今現在、実現しています。
最近の報告によりますと、世界中で今、900万人を超す大勢の仲間がおり、世界中の人々がエホバからのアドバイスを求め、それを受け入れています。
エホバは今、聖書を通して歩むべき道行うべきことを教えてくださっています。
人種や国、文化の違いは問題にしません。そして私たちは戦争に参加しません。中立な立場を取ります。
「ブドウの木やイチジクの木に座」るという表現は、 平和で繁栄した安全な状態の象徴として用いられます。
ここから私たちがエホバのアドバイスを取り入れ、実際に行動するならば、エホバは必ず守ってくださるっていうことがわかります。
私たちは安心感が得られるのではないでしょうか。
私たちは日々選択の毎日です。右に行くか左に行くかはそれぞれが決めなければなりません。この先にもたくさんの枝分かれした道があるに違いありません。
私たちは良いアドバイスを得て、喜びの多い日々を歩んでいきたいと思います。
皆さんはどこにそれを求めますか?
エホバのアドバイスに耳を傾けましょう。エホバは歩むべき道を教えてくださいます。そしてエホバの教える事柄を学び続け、実践していきましょう。
またエホバのアドバイスに従う人たちと共に集まり合いましょう。
そうすれば、次の保証の言葉を得ることができます。
「温厚な人は地上に住み続け,豊かな平和をこの上なく喜ぶ。…正しい人は地上に住み続け,そこで永遠に暮らす」。(詩編37:11,29)
エホバのアドバイスを取り入れる人は将来、永遠に続く平和を得ることができます。喜びの多い毎日となります。
人に対して何か不快な思いをすることも、不快な思いを相手にさせることも決してありません。
皆が喜びのうちに、いつでも平和で満ち足りた生活を送ることができます。
皆さんは誰のアドバイスに耳を傾けますか?
今日共に考えることができたように、 エホバのアドバイスを取り入れ、共に歩んでいきましょう。
これは誰でも取り入れることができます。
変化するのが難しいと思っていっても大丈夫です。経験でもあったように、エホバが必ず導き助けてくださるからです。
私たちがエホバに頼りエホバのアドバイスを取り入れ努力するとき、エホバは私たちを守り素晴らしい将来へと必ず導いてくださることでしょう。
では引き続き共に聖書からエホバのアドバイスを学び、実践してまいりましょう。