神に喜ばれる揺るぎない愛

日本では徳島県に生息しているコウノトリには別名がヘブライ語であります。
ご存知ですか? 「揺るぎない愛」だそうです。
実際この鳥はこの名前にある通りの行動をします。
多くの鳥は毎年パートナーを変えて卵を産んで子育てをします。
でもこの鳥はパートナーを見つけたら、一生そのパートナーに寄り添って亡くなるまで一緒に過ごして子育てをします。
このようにパートナーに揺るぎない愛を示します。
また子どもに対しても揺るぎない愛を示します。
コウノトリはオスとメスが一緒に共同して子育てをします。
一緒に交互に卵を温めます。そして孵化したならば、オスが餌を採りに行っているる間、メスは巣に残って子供を守ります。
オスが帰ってきたらメスが餌を捕りに行きます。
でもある時メスの鳥がピストルで撃たれて死んでしまいました。
オスのコウノトリは、そのメスの分まで一生懸命働きました。
ずっと巣にいて餌が必要な時だけさっと飛び立って戻ってきて子供に与え、またずっと子供のそばにいる。
子供が大きくなるまでこのことを続けました。

では皆さんに質問です。コウノトリはしっかり自分の頭で考えて、この素晴らしい特質を配偶者や子どもたちに表していますか?
全く考えていません。本能的に行っています。
私たちはエホバから何を与えられていますか?知性です。
であるならコウノトリよりもしっかりとよく考えて、この素晴らしい揺るぎない愛を生活で表したいと思うのではないでしょうか。
では揺るぎない愛は、誰が表さないといけないのでしょうか?

「考え方を新しくする努力を続けましょう。そして,新しい人格を身に着けましょう。その人格は神の意志に沿って形作られるものであり,本当の正しさと忠実さ(揺るぎない思い)に基づいています」。(エフェソス4:23,24)

新しい人格を表し続けるためにはどうしないといけないでしょうか?
揺るぎない愛を示し続けなければならないのです。
そして全てのクリスチャンがどれだけベテランになろうと、新しい人格を身につけて磨く努力をしなければなりません。
新しい人格を身につけ続ける努力をするためには、忠実さも表し続けなければならないのです。
若い人も、もう何年も仕えている兄弟姉妹も、毎日の生活に表していかなければなりません。
でも特に今の時代になぜ、揺るぎない愛を示すのは難しいのでしょうか?
それは聖書の中に答えがはっきり記されていました。

「サタンはエホバに答えた。『誰でも自分の身が一番です。人は自分の命を守るために,自分が持つもの全てを差し出します。試しに,あなたの手を出して,彼の体に傷を負わせてください。彼はきっと面と向かってあなたを侮辱します』」。(ヨブ記2:4,5)

サタンはヨブの揺るぎない愛をテーマにエホバと天で話しています。
でもヨブの揺るぎない愛がだけがテーマだったでしょうか?
「誰でも自分の身が1番です」次に「人は」とあります。人は自分の命を守るために、自分が持つもの全てを差し出しますと述べています。
ですから、サタンは全ての人間の揺るぎない愛に挑戦を投げかけたのです。
つまりサタンは「人間は自分の都合であなたに仕えている。試練に遭ったら簡単にあなたから離れ去る。これが私の主張です」とエホバに述べたのです。

その後、サタンは自分の主張が合っていることを証明するためにこれでもかというほど、エホバの僕に対して攻撃を仕掛けてきました。
一世紀を思い出してください。 サタンは誰を攻撃しましたか?
イエス・キリストです。神の子さえもこのテーマで攻撃したのです。
であるならば今、サタンは自分のこの主張を正当化するために、誰を攻撃したいと思っているでしょうか?あなたです。
ですから今の時代、揺るぎない愛を示すのはそう簡単なことではありません。

これを聞いてあなたはサタンに何と言いたいと思いますか?
そんなことはないサタン、私はエホバから離れません。
揺るぎない愛をいつも示します。これが私たちの願いではないでしょうか。
どうすればそのことができるのかご一緒に考えてみましょう。

まず初めに、誰に揺るぎない愛を示しますか?エホバ神です。
ではなぜエホバ神に揺るぎない愛を示さなければならないのでしょうか?

「私たちの神エホバ,あなたは栄光と栄誉と力を受けるのにふさわしい方です。あなたが全てのものを創造されたからです。全てのものは,あなたのご意志によって存在するようになり,創造されました」。(啓示の書4:11)

エホバに揺るぎない愛を示すべき2つの理由が記されていました。
1つ目は、エホバが全てのものの創造者だからです。
ちょっと自然界に目を留めると、そこにエホバの大きな力が表れています。
どの人間も真似することができません。どう感じますか?
他の創造物を見ると、そこには比べものにもならない知恵が表れています。
人間は誰も真似できません。 どう感じますか?
色とりどりの創造物があります。それを見てどう感じますか?
センスめちゃくちゃいいな!そう思った時、心に何が湧いてきますか?
畏敬。離れたくない。この方に仕えたいという気持ちが表れるのではないでしょうか。
エホバは創造主であるからこそ、私たちの揺るぎない愛を受けるにふさわしい方なのです。

もう1つはあなたのご意志によって存在するようになったと記されています。
エホバは私たちを造りました。しかしその後、私たちは存在し続けています。
なぜでしょうか?
それは、エホバが私たちに必要なものを喜んで与えてくれているからです。
衣服、食べ物、住むところ、色んなものがありますね。
生きるためだけでなく私たちが人生を楽しむために、エホバはこうしたものを与えてくれました。
このことはちょうど一生懸命働くお父さんをイメージさせませんか?
毎日早く起きて、遅くまで働いて、そして家族に必要なものを喜んで与えているのではないでしょうか。
そんなお父さんを認めている家族は、お父さんをどのように扱いますか?
大切にして、一緒にいたい、感謝をしたいと思うのではないでしょうか。

エホバはそのようなお父さんなのです。
喜んで私たちに必要なものを与えてくださっているのです。
そのことを考えるとずっといたい、そして私たちの感謝をエホバに届けたいと思いませんか。

では、どうすれば私たちは揺るぎない愛をエホバに表すことができるでしょうか?
聖書からその答えを見てみましょう。

「イスラエル,あなたの神エホバは何を求めていますか。ただ,あなたの神エホバを畏れ,神の道をひたすら歩み,神を愛し,心を尽くし自分の全てを尽くしてあなたの神エホバに仕え,私が今日命じるエホバのおきてと法令を自分のために守ることです」。(申命記10:12,13)

ここでエホバ神は、ご自分のおきてと法令を守ってほしいと望んでいることがわかります。
でもどのような仕方ででしょうか?
「神を愛し、心を尽くし自分の全てを尽くしてあなたの神エホバに仕え」るようにとあり、心が関係していることがわかります。
ですからエホバは、ご自分の全ての民が心から喜んで自分のおきてに従ってほしいと願っておられるのです。
このようにするならエホバに私たちの揺るぎない愛を届けることができるのです。

心からエホバのおきてに従っていることを表すにはどうすればいいでしょうか?
それは個人的な決定だと思うようなことですら、エホバの声を聞いて、それに従って決定することができます。
そうするならば、私たちの揺るぎない愛を届けることができます。
では、個人的な決定とはどのようなものでしょうか?
集会に行くこと、伝道に定期的に参加すること、不道徳な行いを避けること。これらは個人的な決定でしょうか?
それは命令です。ですから、私たちは何があろうと集会に来て奉仕に出、不道徳な行いを避けようと努力します。
では、個人的な決定とは何でしょうか?
それは何を着るか、どんな娯楽を選ぶか、どんな仕事を選ぶか、誰と過ごすか、どれほどの時間交友に使うか。
そうしたことは個人的な決定と言えるでしょう。
そうしたことにすらエホバの声に耳を傾けて決定するならば、エホバの全てのおきてに喜んで従っているということが言えるでしょう。

でもどちらかと言えば私たちは、したいようにしたい傾向があります。 時々そう感じます。
そんな時、どのようなことを思い出すことができるでしょうか。
この写真ただの小石の道に見えますね。でも本当は違うんです。次の写真をご覧ください。ぺルーにあるナスカの地上絵だったんです。
なぜこれがナスカの地上絵だとわかったのでしょうか?
それは同じものを別の角度そして高いところから見たので、全体像を把握することができてわかりました。
私たちの物事の見方は、ちょうど1番目の写真のようです。残念ながら近いところしか見ることができません。
でもエホバは文字通り高いところに住んでますし、エホバの知恵や洞察力を持ってするならば、全てのものを把握することができます。
全体像を捉えることができる完璧な方が、こうした方がいいよこんな原則があるよと聖書で私たちに教えてくれているのです。
であるならば自分の見方で見る決定と、エホバの物事の見方の決定と、どちらを優先したいと思いますか?もちろんエホバですよね。
ではちょっと難しいなと思ったならば、このナスカの地上絵を思い出してみてください。
そしてエホバの見方がどのようなものだったのか思い出すことにいたしましょう。そうすることによって、常にどんな小さな決定においてもエホバに従いましょう。
そうするならば、私たちはエホバに何を表すことができるでしょうか?
揺るぎない愛をはっきり表すことができます。

ではエホバの次に、私たちは誰に揺るぎない愛を示すべきでしょうか?
家族に揺るぎない愛を示さなければなりません。
特に妻そして夫は互いに揺るぎない愛を示さなければなりません。

一般の人々は、夫婦間に存在しなければならない揺るぎない愛について高く評価していると思いますか?それとも低く見ていると思いますか?
「夫婦間で忠節はどれほど大切かですか」というアンケートがドイツで取られました。
そうすると80%の人がとても大切なことですと答えました。
今度は道行く女性に「結婚する男性に求める5つの大切な特徴を挙げてください」
というアンケートが取られました。そして今度は男性に「女性の大切な5つの特質を挙げてください」とアンケートを取りました。どんな結果になったでしょうか?
1番大切な特質は、揺るぎない愛という結果になりました。
ですから聖書を学んでなくても、一般でもこの特質は高く評価されています。

でも世の中を見てください。なぜこんなに離婚が多いの別居が多いのと思われませんか?
ネットニュースを毎日見ていると、誰々の有名人が離婚したという話を聞かない日はほとんどなくなったのではないでしょうか?
なぜ、それほど別居や離婚が増えているのでしょうか?
この世の人々は結婚生活を続けなければならないという正しい動機づけを持っていないからです。
でも私たちはどうですか?
クリスチャンとしてどんなことがあっても結婚生活を続ける努力をしなければならないその正しい理由は何ですか?

「『それで,男は父と母から離れて妻にしっかり付き,2人は一体となる』と言いました。それで,2人はもはや別々ではなく,一体です。ですから,神が結び合わせたものを,人が離してはなりません」。(マタイ19:5,6)

6節の後半でイエスは「神が結び合わせた」と述べています。
ですから、結婚の創始者はエホバ神だということがわかります。
創始者は何を望んでいるでしょうか?
「人が離してはなりません」とありますから、エホバは全ての夫婦がいつまでも幸せに暮らしてほしいと願っていることがわかります。
ですから夫婦間で揺るぎない愛を示し続けて、どんなことがあっても結婚生活を続けるならば、私たちは結婚の創始者に敬意と愛と誉れを与えていることになるのです。
これが私たちの結婚生活を続けるはっきりとした理由です。
エホバに敬意を払うために、互いに愛を表し続ける結婚生活を何があっても続ける努力をしていかなければならないのです。

では家族の次に、今度は誰に揺るぎない愛を示すべきでしょうか?
みんなです。会衆の仲間を愛し続けなければなりません。
私たちは兄弟姉妹を思いやって、どんな時でも愛し続け、嫌なことがあっても辛抱したいと思います。

では、どうすればうまく仲間の兄弟全てを愛することができるでしょうか?
それは、仲間の良い点に目を止めるということです。
どうすればそのことができるのか、少し例えで考えてみることにいたしましょう。

今、皆さんは何人かの兄弟姉妹とお茶を飲んで、ちょっとしたおいしいクッキーをつまんで、楽しい会話を楽しんでいます。
その交友が終わろうとしています。写真撮りましょうと言って撮ります。
2枚だとちょっと失敗した時怖いので3枚取ることにします。
スペイン語ではウノ・ドス・トレス、またウイスキーと言って撮りますけれども、3枚撮りました。そしてあなたはチェックします。
1枚目ちょっと顔がちょっとしかめってるな。どうしますか?削除しますよね。
2枚ともみんないい顔して映ってる。
これを記念の思い出としてとっておくのではないでしょうか。

私たちは全ての人とうまくやりたいと思っています。
しかし不完全な故に、ある時ある兄弟姉妹から傷つけられたり、嫌な思いをさせられることがあるかもしれません。
そんな時ぜひ、先ほどの写真のようにその思い出を消しましょう。
それも簡単ではないですよね。
でも消す努力をずっと頭の中でするようにしましょう。
そうするならば頭はそういう思考で考えるようになって、その兄弟姉妹の悪いところを消し去ることができます。

そして兄弟姉妹の良い点を見たならば、常に覚えるようにしましょう。
携帯に写真を残すように、私たちの記憶のメモリーにその兄弟姉妹の留意点をしっかりと刻むことにしましょう。
そうするならば、その兄弟姉妹の良い点がどんどん頭の中に溜まっていきます。
そうするならば、その兄弟がまた嫌なことをちょっとしたとしてもその思い出を
また簡単に水に流すことができるのではないでしょうか。
こういう努力をして、頭にこういう思考回路を作ることにいたしましょう。
そうするならば、本当に兄弟姉妹を愛し続けることができるに違いありません。

少し復習してみましょう。揺るぎない愛はまず誰に表しますか?
エホバ。その次は夫婦間そして仲間の兄弟たち。この3つに特に揺るぎない愛を示し続けましょう。
そうするならばエホバはどのように行動してくださるでしょうか?
最後にエホバの約束を見てみましょう。

「あなたは,揺るぎない愛を示す人に,揺るぎない愛を示す」。
(詩編18:25)

今日学んだような仕方で揺るぎない愛を示すならば、エホバは必ず苦難の時に私たちを助けてくれます。
私たちが喜んでエホバに仕え続けることができるように手を差し伸べてくれます。
それだけではありません。
楽園に行ったならば、エホバは永遠の命というものを与え、揺るぎない愛を存分に与えてくれます。
ですからこの約束を見るためにも、ぜひ引き続き神に喜ばれる揺るぎない愛をエホバ神に家庭内会衆内で表してまいりましょう。