現在、何らかの権限を持っている人に協力しない態度が広く見られているのではないでしょうか。
例えば会社の上司に不平不満ばかりを言う人は多いですね。
学校の先生に不敬な態度を取る生徒も多くなっています。
自治体とか政府も、ある意味権限を持った人たちということができます。
その組織に対して所得をごまかして払うべき税金を免れたり、与えられている法律を守らない人は非常にたくさんいます。
逆に権限を持っている側にも問題が見られ、与えられている権限を乱用する人がいるせいで協力しにくくしているという側面もあります。
例えば、物価高騰などで国民の生活は苦しくなるのに、政治家が自分の立場や利権を優先しているようなニュースを見ると、政府は何もしていないと感じるかもしれません。
宇宙の最高権威者であるエホバはこの点で何と言っているでしょうか?
「わが子よ,エホバと王を畏れよ」。(格言24:21)
エホバより上位の立場を有するものは存在しません。
この方は存在するものの中で最高の権威を持っている神です。
最高権威者であるエホバを畏れるのは言うまでもありません。
王とは国や政府で最も高い権限を持つものです。
ですからここで言う王とは、私たちが協力すべき何らかの権限を与えられている人の象徴と考えることができます。
エホバは、そのような責任を任されている人に敬意を払うようにと聖句の中で命じています。
その命令に従うならば、エホバの要求にも従っていることになります。
人間の政府やそこから出される法律に対して、協力するのは難しいと感じるものもあるかもしれません。
そこから出される要請とか法律は完全なものではありませんので、何らかの欠陥があります。
それでも権限を与えられている人また組織に敬意を払う人が増えれば増えるほど、世の中は平和になると感じられるのではないでしょうか。
今日は、今すぐに従う精神を表せるいくつかの場面について考えてみたいと思います。
まずは家庭の中で責任を任されている人にどのように従うかということを考えてみたいと思います。
家庭の中には夫・妻・子供がいますが、それぞれにエホバは役目を与えています。
それは家族のみんなが幸せに暮らせるようにという考えに基づくものです。
夫・妻・子供それぞれが敬意を表すにあたってイエスの手本に学ぶことができます。
まず夫について考えてみましょう。
イエス・キリストはどのような性格をお持ちだったでしょうか?
気質が温和で心のへりくだった人と聖書の中に記録されています。(マタイ11:29)
加えて必要な時にはすぐに行動する人でもあり、決して自分の責任を投げ出したりはしませんでした。
イエスには12人の使徒たちがいましたけれども、その弟子たちも人間の弱さのために間違った行動をすることがありました。
それでもイエスは、叱りつけたり恥をかかせたりすることはしませんでした。
弟子たちを褒め励ましました。
愛と同情心を持って接しましたので、弟子たちは健全な自尊心を保つことができました。
イエスは教える立場ではありましたけれども、弟子たちに敬意を払っていました。
夫は自分の立場を行使するとき、特に妻に対して接する時に、イエスと同じような愛や同情心また敬意を払うことができます。
「夫の皆さん,知識に基づいて妻と暮らしてください。女性はより繊細な器ですから,妻を大切にしましょう」。(ペテロ第一3:7)
妻を大切にするということには、妻の意見を取り入れたり、妻の言うことに対して敬意を払うということも含まれています。
例えば家族に影響する決定、家計の遣り繰りや様々な日常の事柄がありますが、夫は決定を下す前に、妻の考えとか気持ちを注意深く聞くことができます。
男性と女性では作りが違いますので見るところが違います。
男性には気付かないまた見過ごしてしまう点を妻は気付かせてくれるでしょう。
そのようにして物事を扱っていくならば、夫が1人で物事を進めるよりうまくいくことが多いのではないでしょうか。
そのように感じている夫の皆さんも多いと思います。
そうするならば今度は妻が、自分に敬意を払ってくれる夫を支えやすくなります。
さらに2人の絆は深まって、家庭は温かい所となるでしょう。
妻にもイエスの手本があります。
イエスはエホバの次に地位の高い方です。それでも立場をわきまえていました。
イエスは地上に来られた時に、完全な方として来られました。
多くの奇跡を行って普通の人間にはできない方法で多くの人々を救いました。
そういった点で、不完全な人間とは大きく異なる方でした。
「キリストは神のような方でしたが,神と同等になろうなどと考えることさえしませんでした」。(フィリピ2:6)
イエスは自分がどれだけ高い地位であるとしても、1番はエホバであるということをわきまえていて、その1番上の座を狙うことはそのような考えすら持つことはありませんでした。
自分の立場をわきまえていました。
妻もイエスのその面に見習うことができます。
自分の役割と夫の役割の違いをわきまえることができます。
2009年のものみの塔誌の記事の中に、次のような一文がありました。
「子どもは、ある活動に携わる許可を母親に求めています。
母親としては以前にその件について夫婦で話し合ったことがない場合、お父さんに聞いてみた?と尋ねることができます。
子供が父親に聞いていないのであれば、その時点では何も決めずに夫と話し合うべきです。
さらにクリスチャンである妻は、子供の前で夫の言葉と相反するような事柄を述べたり、夫の意見に意義を唱えたりすることもないようにしたいと思うでしょう」。
日常生活の中には、妻の方がより詳しいそういった分野もあると思います。
その分野で何かを決める時にも夫に尋ね夫と共に物事を決定していくようにして、妻は自分の立場をわきまえ、家庭の中の平和な環境を整えていくことができます。
子供にも役目があります。
それはシンプルで、親に従うというエホバからの命令です。
親のアドバイスに納得できないこともあると思います。
でも親は子供よりもはるかに多くのことを経験していますし、親がクリスチャンであるならば、そのアドバイスには神のお考えとか聖書の原則が含まれています。
従うならば聖なる力の導きを子供は期待することができます。
親がクリスチャンでない場合どうでしょうか?
子供が導きを求める時、エホバは答えや知恵というものをクリスチャンではない親を通して与えることもあるということを忘れないようにしましょう。
アドバイスがエホバの教えに反するものでない限り、エホバから与えられた親の役割に敬意を払うことができます。
別の側面それは、上位の権威に対して敬意を払うという分野です。
「全ての人は上位の権威に従わなければなりません。神によらない権威はないからです。存在する権威は神によって相対的な地位に据えられています。ですから,権威に反抗する人は,神の取り決めに逆らっていることになります。逆らう人は断罪されます」。(ローマ13:1,2)
ここで言う「上位の権威」は、国や自治体や政府ということができます。
エホバが人間の支配を許しておられる限り、クリスチャンは神の取り決めに敬意を払って人間の政府の要求に応じるよう真剣に努力しなければなりません。
「逆らう人は断罪され」るといった強い言葉で私たちの注意を引いています。
人間の政府は、私たちが安心して暮らせるように働いているとも言えるでしょう。
「支配者を恐れるのは,善いことを行う人ではなく,悪いことを行う人です。あなたは,権威を恐れずにいたいと思いますか。善いことを行い続けてください。そうすれば,権威者から称賛されます。権威者は神の奉仕者であり…悪いことを行い続ける人に憤りを表明する復讐者なのです」。
(ローマ13:3,4)
エホバは現在のところ人間の政府をご自分の奉仕者として用いている面もあるということを私たちは覚えておきたいと思います。
確かに政府は人々の安全な生活のために様々な法律を制定しています。
例えば道路交通法、交通ルールというものがあると思います。
車に乗る時自転車に乗る時歩いている時、その法律に従う義務があります。
私たちは何気に外に出て日々の活動をしていますが、道路交通法の求めているルールに対して確かな知識を持っているだろうかと考えてみることができます。
見落としてしまっていて後になって気づくようなことがあるかもしれません。
神から預かった貴重な命を守るためにも、そういった法律に精通するように努力したいと思うのではないでしょうか。
私たちは、政府の言うことが神のお考えと反するものでない限りは、それに従うように努力していくことができます。
今のところエホバはその人間の政府を用いて、ある程度の安全とか福祉を私たちに与えてくださっていますので、その人間の政府に従うならばそれはエホバに従っていることに直接繋がると考えることができます。
さらに、私たちがそういった法律などをしっかり守っているならば「人々はあなたたちの立派な行動を見て,天にいる父をたたえるでしょう」と書かれているように、私たちの行動がエホバに関心を持つきっかけとなる場合も少なくありません。
(マタイ5:16)
ですから人が見ていても見ていなくても法律を守り、エホバの民としてふさわしい者として行動していきたいものです。
従うべき別の点それは、最高の権威を持っておられるエホバ神に敬意を払うという点です。
エホバは存在するすべてのものの中で最高の権威を持っておられる方です。
エホバ神はある程度の役目を持っているものとして、ある者に責任や役割・権威を与えます。そして権威を与えられた者がそれを正しく行使し、その下で仕事をしたり生活する者がそれに敬意を払うことによって秩序が保たれる。
この仕組みを作ったのはエホバ神です。
最初の創造物であるイエスを創造した瞬間から、このシステムは導入されたと言えます。
イエス・キリストそして最初の人間アダムとエバには、その初めからそれぞれに明確な責任役割が与えられていました。
残念なことに最初の人間は、その自分の役割を踏み越えてしまったために、人類に計り知れない悪影響を及ぼしました。
私たちが役目を任されている人に敬意を払うということは、エホバが用いておられるその仕組みに従っているということになります。
「皆さんの神エホバは神の中の神,主の中の主, 偉大で力強く,威厳に満ちる神であり,誰をも不公平に扱わず,賄賂を受け取りません」。(申命記10:17)
エホバがどのようにご自分の務めを果たされるかについて記されています。
エホバは全ての人を公平に扱ってくださいます。
最高に力を持っておられる方、無限の力を持っておられ不可能なことはありませんので、そのエホバが物事を公平に扱うことを難しくさせるような圧力を加え得るものは世の中には存在しません。
そのような方であるならば私たちは喜んで従いたいと思うのではないでしょうか。
その思いをどのように表せるでしょうか?
神がしてはいけないということをするように言われたり、逆に神がしなさいということをやめるように言われたりしたとしてもエホバに従うことによって示すことができます。
例えば学校で武道の授業を受けるよう求められた時に、学校に通っている子どもたちは、自分の立場を説明しその授業を受けないようにしています。
また国によっては、エホバの証人の活動そのものが禁じられている所があります。
それでもエホバの求めと政府の求めが違う場合にはエホバの求めを優先して、勇気を持ってエホバの証人としての活動を続けている仲間達が沢山います。
私たちは勇気を持って大胆に自分の立場を表明することはできますが、そのような時にも政府や求めをしてくるものに対して、敬意を込めた態度を表すということを忘れないようにしたいと思います。
自分の立場について伝えた時、相手の理解が得られないことはよくあります。
そのような時は、自分の伝え方や表情などに問題はなかっただろうか?相手の理解を得るために改善できることがあるだろうか?と謙遜に考えてみることができます。
次に会う時に改善点を当てはめる努力を払うことができます。
決して自分はエホバの言うことに従っているのだから、相手に問題があるなどと考えないようにしたいと思います。
私たちを心から気遣ってくれるその権威者が何かを求めるならば、私たちはそれに喜んで応じます。
「皆さんを教え導いている人たちに従い,進んで応じてください。その人たちは皆さんを見守っており,そのことに関して責任を問われることになります。それで,その人たちが喜んで働けるようにしてください。もし嘆きながら働くことになれば,それは皆さんのためになりません」。
(ヘブライ13:17)
私たちを公平にそして愛を持って見てくださるエホバが求めることには、私たちは喜んで応じたいと思います。
聖書を学ぶために同じ信仰の仲間と集まること、またご自分に関する真理をできる限り沢山の人に伝えること。
そのことをエホバは求めておられます。
そのエホバの求めていることが確実になされるために、多くの責任ある男性たちが働いています。
毎週決まった時間に集会が行われるように、また伝道活動が組織立って行われるように、責任を与えられている兄弟たちは忙しく働いています。
私たちは集会や伝道の時に、責任を担ってくれている人たちに喜んで協力することができます。
そうするなら、エホバに敬意を払っていることになります。
もちろんそのような責任ある立場で働いている男性たちも欠点があり時には間違えることもあります。
だからといって反抗的な態度を持ち取ってしまうとしたら、エホバの権威に逆らっていることになるということを認識しておきたいと思います。
いくつかの分野で何らかの責任を与えられている人たちにどのように敬意を払うことができるか、そして最高の権威を持っておられるエホバ神にどのように敬意を払うことができるか考えました。
その中で上位の権威、人間の政府についても考えましたが、聖書の中には別の政府のことが書かれています。
「この王たちの時代に,天の神は決して滅ぼされることのない王国を建てます。その王国はほかのどんな民にも渡されません。これらの王国を全て打ち砕いて終わらせ,その王国だけが永遠に存続します」。
(ダニエル書2:44)
エホバはご自分の計画を実現するために、天に政府を設立されました。
聖書の中のそれに関係する言葉を注意深く考えてみるならば、西暦1914年にすでに建てられているということを理解することができます。
この王国は神の王国などとも言われています。
この神の政府と人間の政府には決定的な違いがあります。
神の政府は他の政府を打ち砕いて終わらせるとあります。
人間の政府は現在神によってその存在を許されている、相対的な立場にあります。
そして地球上の治安をある程度維持し、私たちはその恩恵を受けています。
しかし人間の制度はエホバ神を無視しエホバ神のお考えを取り入れていないということを忘れてはいけません。
この人間の政府は自分たちの利益を優先していることを認めることができます。
世の中の様々なニュースを見ているならば、人間の政府はそういったものだということを容易に理解することができます。
その結果としてどうなったでしょうか?
長い歴史の中で、人間の道徳基準はどんどん低下してきました。
そして多くの人々が傷つけ合い、争い合っています。
国家間の争いや戦争が絶えることはなく、人類の存続をさえ脅かすような状態を作り出しています。
そういった神を無視した人間の政府を、エホバはご自分の決められた時に終わらせるということをこの聖句を通して期待することができます。
神の王国はエホバが定められている時に、地上に対して余すところなくその力を行使します。
人間政府全てを含む現在の邪悪な体制を除き去ってその後地球を楽園にされます。
では今から、エホバによって役目を任されている人とか、組織に敬意を払う態度を培っていきたいと思います。
それは最高の権威を持っておられるエホバ神が命じておられる事柄であり、努力を払うならばエホバに従っていることになります。
楽園に入れるのはそのような人たちです。
エホバは人々を公平に扱うということを先ほど考えました。
本当にこれは感謝すべきことです。
人間の政府のように、家柄とか保有している資産とかコネクションなどによって優位な立場を得ることができるものではありません。
エホバに敬意を払いエホバが言われていることに従っているならば、どんな人であってもエホバは公平に受け入れてくださいます。
どんな時でもエホバに従うことによってエホバに敬意を払うということをしてゆくならば、エホバが間もなくこの地上を楽園に変えた時、そのような地上で私たちは、幸福に永遠の命を得て過ごすことができます。
それを現実のものとして待ち望むことができるでしょう。
それでは私たちはエホバが求めている、責任を任されている人たちに敬意を払うことをこれからも引き続き続けて、最高権威であるエホバ神に敬意を表してゆきましょう。